神社案内

境内案内

境内案内

手水

神社にお参りする際はまず、手水舎で手と口をすすぎ身を清めます。昔から清らかな水は穢れを流すとされ、手水は禊を略式化したものといえます。

【手水の作法】

二拝 ニ拍手 一拝

神社でも、家庭でも、神様にお参りする際は、ニ拝ニ拍手一拝の作法を行います。特に家庭では、毎日、家族そろってお参りしたいものです。

【参拝の作法】

由来・御神徳

由緒・沿革

御創建は、第59代宇多天皇の御代「下総国第一鎮守宇多天皇勅願所」として鎮座されたと伝えられている。後、鎌倉時代に至り、建久年間四年(1193年)後鳥羽天皇の御代に、柏市近郊一帯の総鎮守(守護神)として再び社殿が創建された。又、徳川時代に至って、慶安三年(1649年)には、三代将軍家光公より御朱印地(領地)十石を献上された。「下総旧事情」によると、御朱印神社は、下総国で64社、葛飾郡内で18社、柏市内では当社と塚崎の神明宮の2社のみである。宝暦七年(1758年)には、伯州刺吏藤原正珍公より、旧領采地、病気平癒の御札として石華表(石鳥居)一基を寄進された。これは当宮の外、布施弁天、塚崎の神明宮の二社一寺に寄進されたものです。

御祭神は、誉田別名(15代応神天皇)・気長足姫命(神功皇后)・玉依姫命で、合祀による御祭神は、仲哀天皇・武内宿称の二柱です。

現在の御本殿は、天保年間(1830年~1843年)造営のものと伝えられ、権現流れ造り、基礎の石垣は安土桃山時代(1573年~1595年)の形式を遺す貴重なものであり、又御本殿周囲の彫刻は、御祭神の事跡を刻んだもので、正面より右側は「養老の滝の図」、左側は「応神天皇を御抱き上げの図」、背面ものは、「里の童山武士を神社に案内の図」で精巧秀麗なものです。

御神徳

廣幡八幡宮には、誉田別名(ほんだわけのみこと)を主祭神として、他に、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、そして、父仲哀天皇と武内宿禰(たけしうちすくね)の、合わせて五柱の神様をお祀りしています。

八幡神こと誉田別命は、第十五代応神天皇をさし、四世紀末、その四十一年間の治世に優れた力を発揮され、わが国の文化の基礎がこの時代に築かれたとされています。中世以降、八幡信仰は、源氏の守護神となって、全国に分祀がなされました。八幡神のご神徳は、国家鎮護・殖産興業・家内安全・家運隆昌・心願成就・交通安全・災厄消除・学業教育・病気平癒など、その信仰利益も幅広いものです。

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)は、八幡神を生んだ聖母神として、また、玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、神婚によって神の子を宿し、子孫繁栄のシンボルとして合せ祀られており、そのご神徳は、安産子宝・子育てを中心として、勝運・開運・招福・悪病災難除け・方位除けなどです。

武内宿禰(たけうちすくね)は、360歳の長寿をまっとうし、五代の天皇に仕えたとされる日本一長寿の神様として有名で、その肖像は、戦前には五円と一円の紙幣の図柄として身近な神様でもありました。そのご神徳は、延命長寿・武運長久を中心に、立身出生・必勝合格・勝負事・厄除けなどです。